トップダウン型改革手法について

トップダウン型改革はボトムアップ型改革にくらべて効率がよいのか?”という疑問が5年ほど前からわいてきていた。トップダウン型のほうがボトムアップ型に比べて効率がよいと知識のある人ほど言う人が多い。トップがすべての問題点を認識していれば、改革は指示をするだけのような気がするからだ。最初は私もそう思っていたが、どうも現実はそうなっていないような気がする。
先日、田中康夫長野県知事が落選した。私はこんなペログリパープリンに知事をやらせるほうがおかしいと考えているのでそれはむしろ長野県民にとってよかったような気がしている。この元知事がよくトップダウン型改革を断行したというようなことが報道されているが、果たして効果はあったのだろうか?自民党小泉首相も同じような報道であったり、田中長野県政の最初の頃は小泉自民と比較していたりしていた。小泉自民と田中県政は立脚地点も思考も全く違うような気がするので、個人的には比較対照にはならないと考えているが…。トップダウン型って何だろうと考えることしきりだ。
経営にもトップダウン型と言われることがある。日本の企業ではソニーみたいな企業がそうであると言われる。経営をV字回復したゴーン日産も改革時にはそう言われている。一部の外資系らしいと言われる企業もトップダウン型経営であると言われる。これらの企業を見渡してみると、トップが考えることを部下に浸透させ実行する形のものと、末端がトップの考える意味を考えて実行するパターンがあるような気がする。どれがどちらに属するかは言わない。
秦の始皇帝も度量衡統一・貨幣統一・共通文字・轍の幅の統一などを次々に改革したが、秦は始皇帝が誕生してから10年ほどで没落滅亡する。三国志に出てくる魏呉蜀はどれもわりとトップダウン型っぽいところがある。特に蜀漢諸葛亮*1は政治においてトップダウン型改革をたくさんおこなったが、人材が全く育たず、死に際して後継者の順番を指名せざるを得なかった。孔明が善政をおこなったのはやはり10年程度であると見受けられる。これらを通じて私が考える仮定は信頼されているトップも強大なトップも最大値が10年ぐらいで、5年ぐらいがいいところではないだろうか?ということである。
もう1つ比較したい事象がある。ボトムアップ型の明治維新が討幕運動*2から廃藩置県*3ぐらいの10年程度で成し遂げられているのに比べ、国王に対する信頼がとても厚いタイではアユタヤ朝*4からトンブリー朝*5を経てチャクリー朝*6で安定するまで20年以上は政治的に不安定な時期であった。
これらのことを考え合わせて、今の私は次のように考えている。

  1. トップが末端に共通意識を浸透させられる期間は長めに見積もって数年程度で、実行完了までを10年未満で終えなければならない。
  2. 一般にボトムアップ型の改革のほうが混乱が少ない。

*1:孔明

*2:1864年

*3:1871年

*4:1351〜1767

*5:1767〜1782

*6:ラッタナコーシン朝 1782〜現在