出版不況はなぜ起きたのか?

日本人は識字率が奇跡と言えるほど高く、多種多様なエンターテイメントが提供されている現在においても本を趣味にしている人が多い。では、ここ数十年*1にもわたる未曾有の出版不況はどうやってできたのか?読みたいと思う本がないからだという話も出ているが私にはそうは思えない。現実に読みたいものは売れている。

文学時代の到来

出版業界側から見ると、収益の柱が文学などから漫画に移り変わり、現在では漫画も下落しつつあると認識しているようである。その認識は正しいと思うが、出版業界自体も変化したことを理解している人はあまりいないのではないか?
私の考える第一の理由は“編集者が作家を育て(られ)なくなったから” である。昔は赤貧の作家を赤貧の編集者が一生の仕事として精一杯育て、大作家となる。その編集者は赤貧のまま歴史の表舞台に登場せずに定年をむかえる。芥川龍之介太宰治といった名だたる大作家の周辺からはそんな話が聞こえてくる。出版業界特有の過保護な法律も加速要因ではあるかもしれないが、行動しないことを選択した大作家だよりの若い編集者によって文学冬の時代ができ、文学出版界は自滅していったと私は考えている。その出版業界を救ったのは自分たちが蔑んでいた漫画であったのは皮肉のようでもある。

じゃりまん時代の到来

日本にいたら意識しにくいとは思うが、サブカルチャーたる漫画が文化(カルチャー)と比肩したのも日本だけの現象*2である。なぜここまで支持されるのか?当時じゃりまんと蔑まれていた漫画は、“(文学に負けじと)編集者が徹底的に漫画家を育成した”という事情がある。大衆娯楽漫画を追求し、大衆娯楽でないものも育成した。貧困なりに経済がまわったというのも一因であろう。その漫画が前世紀末に若干の落下傾向を示し、出版不況という言葉が蔓延した。私には当然の帰結であるように見える。

間違った動き?!

若手編集者が間違ったほうへ動いているような気がしてならない。電車男のようにインターネット上の匿名掲示板サイトに掲載されたネタを出版してうまくいくものもある。しかし、これは単発で終わる。たまたまそういう作品がなくスポットのように穴の開いた場所に埋まった作品だと私はおもっている。まとめサイトも全くのめりこめなかった。あれを見て泣いた人*3には悪いが、私にとってはとても感情の動くようなものではなかった。
Webはいまだに大きな可能性を秘めてはいるだろうが、人がWebに求めるものと紙に求めるものはまったく違う。Wikipediaをよく利用させていただいてはいるが、歴史的な用語については著しくバランスを欠く記述が多い。文章には多くの落とし穴があり、ミスリードを誘うようにできている。現在のWebには経済的にも文化的にも未熟なものだろう。それだけに可能性はあるが、商業出版にはむかない概念であることを改めて認識するべきである。

新たな動きへ

最近になってむしろ出版業界の周囲から、出版業界を救おうといういろんな動きがある。ひとつは社会適応度は低いが能力の高いクリエイターを編集者にかわって発掘・育成して売り込む会社がでてきたこと。野球やサッカーでいえばエージェントのようなものだろう。そもそも野球やサッカーの一流選手は自分自身が子供たちの夢の対象になることを知っているため、脳みそまで筋肉でできていそうな人でもそこそこ社会性があるものである。エージェントのような制度は、むしろクリエイター系で花開くのではないだろうか?
もうひとつ結果的に救ってしまっているものにブックオフなどの新古書店の登場がある。それまでは引越しなどによって捨ててしまっていた本が新古書店に並ぶようになったため、そこから仕入れて販売している古書店が増えている。現実に古書店・古本販売*4の在庫は充実し始めた。このまま増え続ければ新古書店ですら支払っている著作権*5古書店・古本販売も支払うようになるのかもしれない。

*1:出版社の利益だけを見ればここ10年ほどの現象だが、新たな大作家の出ていない現状を見ると30年以上は出版不況であり、今後十年以上は不況は続くと私はみている。

*2:ここにも日本人特有の宗教観の影響があるものとおもわれる。歴史と宗教感と民族的思考は切り離せないものと言えるだろう。海外でもうけていると反論するむきもあろうが、年代をみると日本が経済的に成功した後のことなので、この点に関し諸外国は完全に日本を手本にしたといえる。

*3:紹介してくれた人は泣いたそうだ…

*4:古本を飯の種にする個人事業主

*5:出版業界では、もめにもめた現象。(著作権料を支払いたいと言っている)新古書店に (新人発掘および育成にかかわらない)物販側が「やつらは本のことをなにもわかっとらん」といちゃもんをつけた。どちらが無知かは自明。