宗教
一神教と多神教
宗教と戦争について
キリスト教と戦争
一神教は版図を広げるのが神の御心に沿うとされるのがふつうなので、キリスト教も200年ぐらい前までは宗教戦争や植民地のために動員されています。キリスト教が戦争の道具なのか戦争の道具がキリスト教なのかはどちらもどちらです。つまり車の両輪で、片方がなくなることはありません。
一般的な版図の広げ方や植民地の獲得の仕方は、
- 貿易
- 宣教師を送り込む
- 軍隊を送り込む
の3連コンボです。これでイチコロです。
日本がバテレン禁止令を出して鎖国をしたのはこの3連コンボを受けないため。属国・植民地にならないという強い意志の表れです。このときの鎖国は日本人の多くの利益・国益にかなってたのです。
国家神道と戦争
日本が戦争すると負ける。という予想は軍上層部にはあったはずです。そのためひとつの方策が練られました。1つは神道を国家神道という一神教にしてしまうこと。これは多くを許容してきた神道にとって受け入れがたいものでありました。
そのため、日独伊は世界史ではファシズムだというレッテルが貼られていますが、独伊はともかく日本はそれほどの求心力がなかったようです。1945年夏が終戦ですが、1944年ぐらいまでは何の不自由のない生活をしていましたし、さらに独伊と大きく違ったのは戦争中に政府が解散総選挙をしているところ。民意を伝えることは可能だったわけです。
ついでながらこのときの日本帝国議会には朝鮮人が朝鮮名で国会議員として参加しています。特別枠があるわけでもないのですが、朝鮮人が投票によって当選しています。
奴隷や植民地といった感覚を持っている人は勉強をしなおしたほうがいいでしょう。そのときのたしかに朝鮮人はまずしかったですが、それは朝鮮半島が中国の延長でもともと貧しかったものであって、日本統治以降の朝鮮は内紛がなくなり経済や産業が発達しています。