宗教

世界三大宗教

私はたしか

  1. キリスト教
  2. イスラム
  3. 仏教

って習いました。今の人がどう習っているかは知りませんが、3つ目って微妙ですよね・・・。信者の数から言えば3つ目はヒンズー教になるのかな?と思います。

仏教はなぜ3つ目?

実際に仏教が残っている地域ってご存知でしょうか?インドで発祥しましたが、インドはヒンズー教で仏教ではありません。中国に歴史的施設として孔子廟はありますが、仏教が残っている*1とはいえません。今の中国は道教が支配していると考えるのが妥当です。韓国も儒教や韓国キリスト教*2な色彩が強く仏教はかけらもありません。日本には仏教があります。ところが日本の宗教といわれて、仏教を先に出して神道を後に出すことは不自然です。日本は仏教を許容した神道と考えるのが普通だと考えられます。

一神教多神教

懐の狭い一神教

キリスト教イスラム教など、ヒンズー教は今では一応多神教に分類されるのかもしれませんが、成立の過程では一神教です。そういう一神教では神がダメといえばダメなのです。他民族を滅ぼせといわれれば滅ぼさねばならないのです。宗教戦争の根底にはそういう懐の狭さがあります。
アメリカ人が日本人より保守的で、たとえばゲイなどを受け入れる能力がないのもそういう性の形を神が許容しないからというのが根底にあります。レイプされて子どもができて中絶したくてもできないなんて話があたりまえのようにまかり通ります。西海岸はそれでもわりとマシなほうみたいですけどね。

懐の深い多神教

強くない神がたくさんいるのが多神教です。八百万の神々がいるのが日本です。神道のはじまりは自然信仰です。自然に逆らわず敬う心が自然に生まれました。自然と暮らしている民族の多くにはこの自然信仰がありますが、経済活動をしている先進諸国では日本でしかありません。おかげで日本は多彩な価値観を持ちながら生活できる唯一の先進諸国となりました。

宗教と戦争について

キリスト教と戦争

一神教は版図を広げるのが神の御心に沿うとされるのがふつうなので、キリスト教も200年ぐらい前までは宗教戦争や植民地のために動員されています。キリスト教が戦争の道具なのか戦争の道具がキリスト教なのかはどちらもどちらです。つまり車の両輪で、片方がなくなることはありません。
一般的な版図の広げ方や植民地の獲得の仕方は、

  1. 貿易
  2. 宣教師を送り込む
  3. 軍隊を送り込む

の3連コンボです。これでイチコロです。
日本がバテレン禁止令を出して鎖国をしたのはこの3連コンボを受けないため。属国・植民地にならないという強い意志の表れです。このときの鎖国は日本人の多くの利益・国益にかなってたのです。

国家神道と戦争

日本が戦争すると負ける。という予想は軍上層部にはあったはずです。そのためひとつの方策が練られました。1つは神道国家神道という一神教にしてしまうこと。これは多くを許容してきた神道にとって受け入れがたいものでありました。
そのため、日独伊は世界史ではファシズムだというレッテルが貼られていますが、独伊はともかく日本はそれほどの求心力がなかったようです。1945年夏が終戦ですが、1944年ぐらいまでは何の不自由のない生活をしていましたし、さらに独伊と大きく違ったのは戦争中に政府が解散総選挙をしているところ。民意を伝えることは可能だったわけです。
ついでながらこのときの日本帝国議会には朝鮮人が朝鮮名で国会議員として参加しています。特別枠があるわけでもないのですが、朝鮮人が投票によって当選しています。
奴隷や植民地といった感覚を持っている人は勉強をしなおしたほうがいいでしょう。そのときのたしかに朝鮮人はまずしかったですが、それは朝鮮半島が中国の延長でもともと貧しかったものであって、日本統治以降の朝鮮は内紛がなくなり経済や産業が発達しています。

自分なりの解釈

日本では中国の職人たちの伝来に混じってあらゆる宗教が伝来し、一般に言われるキリスト教伝来よりももっと前にキリストもイスラムも伝来し八百万の神々と混じってしまっていたのではないかと考えています。
あらゆる神の融合によって、しかも神道が版図を広げることをよしとせず、多彩な価値観の人間が多彩に暮らせる最初の国家が日本ではなかったかと考えています。

*1:三蔵法師が仏典を取りに行ったころにはブッダの国も施設も滅んでいて、かろうじて残っている寺をみつけ写経して持ち帰り、役人に取り立てられて国政に役立てた記録はあります。

*2:キリスト教とは教義が別