国とは何か?

先進国の一般的な解釈では“国民の生命・財産を守るもの”である。国として何かをするときにはこの原則をはずれてはならない。では、なぜそうなっているのか?

ここでは史実と数字と用語の細かいものについては無視をして、流れを優先する。

ユーラシア大陸に巣くったゲリラ

現在ヨーロッパと言われている地域から現在中国と呼ばれている地域では、有史以前から民族のゲリラや盗賊がいたといわれ、ヨーロッパで有名な一族がユダヤ人であったと言われている。国の成り立ちはそのようなゲリラや強盗から女性や子どもを含む生命・財産を守るために争った。負けたほうは男性は殺害。女性は戦利品として奴隷にしたりレイプするのが常識だった。

王国という制度

この状況を最初に打破したのが、王国であった。強い国王に属する軍隊が他の民族の侵略から守ってくれたり領土を広げようと考えた。強い国王のそばに住む国王のモノである人々はそれなりに暮らしたいたようである。現在でもコーヒーの産地にはそういうシステムを継承しているところもみうけられる。
激動のヨーロッパでは、先進的な制度を取り入れようとトルコから王国制度を輸入し、自らが国王になった。ここでユーラシア的封建制度が確立したといえる。ここで重要なのはこの戦力は国王のためのものであり、国王のモノである人々に対しては守護の対処外だったということである。たまたま守ることもあるし、守らないこともある。

国民国家という制度

そこで出てきたのがナポレオンの率いる軍隊。フランスがもっとも強かった時代。これは国民国家のための軍隊であるところがもっとも違うところで、国王の軍隊と戦って負けることはほとんどなかった。正確な数字は覚えてないけど80戦5敗とかそんなものだった気がする。つまり国民国家の軍隊(国軍)は王国の軍隊より強いということが実践で証明されたのである。この事態に周囲の王国のモノであった人々は驚愕した。これではフランス周辺諸国がすべて飲み込まれると感じたからだ。国王を倒し、国民国家を作り国軍を作ることが身を守る最善策となった。
よく勘違しているひとが多いのだが、ナポレオンの時点にユーラシア大陸には国境はなかった。国王のモノになりたくない商人が旅で物を売ったり、旅芸人が自由に往来した記録がのこっている。もちろん盗賊もゲリラもいるので、命をかけた旅ではあった。
国境は国軍同士のぶつかり合いの末、影響範囲を引きましょうとしてできたものです。つまり、それは国民のためともいえるのです。