昔の日本は懐が深かった

日本の国体は“高度に民主化された共産主義”である

国体という普段は体育大会みたいな意味で使われる言葉をわざと使ってみた。もちろん、どの国にも国体はある。その国体とは“国の形をなすもの”の意味で使っている。その言葉は知らなくても、日本はいい意味においても悪い意味においても日本独自であると考えている人は多いと思う。ところが日本人は独自の歴史とゆるやかな宗教観を持ちえたので、日本の延長がゆるく世界に通じると考えている。これは自分や他人の命をも危うくしかねない勘違いである。
民主主義と共産主義は相容れない概念ではない。公地公民など、現実に日本は何百年もそれを受け入れていながら、諸外国と比較して大きな混乱と言えるものはない。ゆるやかな宗教観を文化としてもちえたためであり、諸外国で日本をまねてもうまくはいかないだろう。

侍になりたければ侍になれたし、超鮮名の朝鮮人でも議会に出られた

GHQによって階級闘争史観をうえつけられたためか、それ以前には薩長連合による明治新政府の江戸時代批判がうえつけられたためか、今の日本に蔓延する微妙な史観に階級闘争史観がある。
天皇制がヒトラームッソリーニと同じような全体主義に通じると考えているのは、それ自体が全体主義的思想であると考えている。ヒトラームッソリーニとは違い、天皇がダメといっても微妙に暴走する日本人もいた。大日本帝国議会が存在・機能し、大東亜戦争中にもかかわらず民意によって衆議院が解散・総選挙をしていたりする。その衆議院には韓国名*1の韓国人*2もみられた。全体主義であったというのなら、史料を提出し議論を提起すべきである。

増え続ける史料

史料は年代を重ねれば減るものと考えている人も多いようだが、勉強すればするほど増えていることがわかる。もちろん焼失した重要な史料もあるが、文字を持っている文明の史料は簡単に消せるものではないことを歴史は教えてくれる。

*1:捏造された歴史によると、創氏改名で強制的に名前を変えさせられたはずではあるが???

*2:捏造された歴史によると、植民地という言葉で自ら貶めている???