慰安婦と従軍慰安婦は逆の意味である
千葉県の従軍慰安婦の碑
いま手元にNPO法人が配布している戦跡資料といわれるものがある。千葉の房総半島のさきっちょに戦跡と従軍慰安婦の碑があるそうだ。
最初に断っておくが、私にはこの碑の存在理由がわからない。この箇条書きっぽい資料と呼ばれるものから何かを察することは難しいが、戦跡にかこつけて碑を建てて宣伝*1をしている可能性がある。韓国にも同様の碑と館*2があるので、同列のものではないかと考えている。
慰安婦とは
慰安婦は当時の先進国であれば世界中どこの軍であれ少なからず採用していた制度である*3。それは国際法*4を守るためであり、“軍人による一般人への暴虐を防ぐために有効に機能した”というのが一般的な説とされる。
ちなみに慰安婦の所属は軍ではない。慰安所*5を経営しているのは民間の業者である。軍属であれば軍服を着ることが義務付けられ、傷つけてもよいことになる。戦争状態の国の軍人を殺すのは合法だが、慰安婦を殺すと殺人となり法で裁かれることになる。従軍しているかいないかで国際法上の意味合いは全く違うのだ。軍属でない人間を盾にすることを国際法は禁じていることもあるし、むしろその方が便利なので慰安所は最前線からは遠く、後方部隊とともにいる。
娼婦と慰安婦の違いは、軍医によって健康診断*6をして合格したものが慰安婦となる。軍隊に性病が蔓延して軍務に支障が出てはいけないからだ。娼婦という制度は国際法でなくとも当時の国内法*7では存在していてもよかった。法的な問題点はどこにもなかったのだ。
その行為をまた行きたいと表現した朝鮮人の慰安婦
「従軍慰安婦問題!」と騒いでいるのは、日本人の慰安婦ではなく朝鮮人の慰安婦である。しかも、ナゾなのはこれを最初に叫ぶのは日本人であり、歴史学を学んだはずの大学教授だったりする。
1910年の日韓併合によって合法的に日本と朝鮮半島が同じ国家となったため、朝鮮半島の貧しい家の女性が娼婦になり娼婦より稼げるので慰安婦として働きたいと言い出した。慰安所を経営している業者はこれを喜んだかというとそうでもない。日本人ですらなり手が多すぎて働く場所がなく困っていたのが実像のだからだ。女性が性奴隷であったことが問われているようだが、『軍人さんにはとても親切にされた。』『また行きたい。』などと親に送った手紙などが残されていることから考えるに、性奴隷以前に事件があった可能性はとても低い。この問題を調べる過程でわかってきたことだが朝鮮人の慰安婦はプロ意識の欠けている人もいて、軍人のほうが性奴隷であったという話がでているほどである。
このようなことから考えるに、従軍した慰安婦は当時はおろか現在にいたるまで世界のどこにも存在しない。東西冷戦の終了後、あせった文化的知識人*8がさまざまなメディア*9によって歴史学的な検証をせず垂れ流され広まった言葉*10である。
中学歴史教科書に書かれている
この問題は扶桑社以外の中学歴史教科書に書かれている。扶桑社の歴史教科書が出て、反対する本が出版され、そういう本を出版する人がばっさり切られる本が多数出版されたので、ひよった教科書会社が従軍の部分だけを削除していたりはするが、論調は基本的に同じである。日本の子供たちはそんないい加減な教科書で学んでいる。昨日の若者ABの論調がああなってしまうのも教科書の影響があるのではないか?と考えるのは自然のことであろう。サヨクは史料を明示すべきである。
歴史は何を語るのか?
- 「歴史はうそをつく。」
- 「過去ほど信頼できないことはない。」勝海舟
したがって、歴史を学んでも未来に起こることを推測できない。だから無意味であるという人もいる。
私はそうは考えない。未来に起こることを予測は出来ないが、無意味ではないと考えている。歴史を知るということは、自国*11を意識し他国*12を認知する作業にほかならない。検証不可能な史料や否定された史料にへばりついている人は、他国を認識・認知する能力にかけ、国際親善の障壁となる事実に目を向けるべきである。とても失礼にあたる。