軍隊について長々と書いたことについて

軍隊はデジタルコミュニケーションに無縁と思われるかもしれないが、“治安のよいところでないと円滑なコミュニケーションは生まれない”という意見には賛同されるだろうか?
ネット上ではあらゆる対立がはびこっているため、イデオロギーと無縁であろうとすればするほど新興宗教無宗教に入信してしまいかねない。いつのまにか誰かの手先になって一般人をアジりまくってしまっていたりする。私の対処法の1つは単純なのでお教えしておく「長文は疑え。」長文にはそうしたいという主観的な欲が入り込みやすいからだ。もちろんここも長文なので大いに疑っていただきたい。

国民国家vs地球市民

東西冷戦以後がどうなっているかというと、

  • (不平等はあれど)資本主義が継続して存続している
  • マルクス主義が実運用に耐えない

と言ってもいいでしょう。私にはマルクス主義より資本主義のほうが民がより豊かで争いがなかったという

イメージがあります。私はどの国にもあったマルクス主義がそのまま消え去るとは思えません。一部はNGO,NPOなどに組織改組したものもあります。マスコミになったり、歴史&公民教科書をマルクス史観で埋め尽くしている出版社や団体もあります。この人たちが何を考えているかというのは私には理解できないのですが、全体的な論調を見るに「国民国家から地球市民への変貌」こそが彼らの言うグローバリゼーションではないかと思えてきました。これは歴史的に見て封建以前に逆行する思想だと考えられはしないでしょうか?新しい時代が来て国民国家の定義を変えてもいいとは考えますが、それによって発生するであろう大勢の弱者の生命や財産はどうやって守るのか?そこの視点が抜けている限り、この話は永久に意味のない話となります。

言論の自由とは

インターネットのコミュニティ系サイトではフレームと呼ばれる言い争いがありますが、それには

なんて話が頻繁にでてきますけど、その自由な言論によって管理者や参加者に

  1. 蔑視された
  2. 罵倒された
  3. 次の発言を封じられた

などの不自由も甘んじて感受すべきではないでしょうかね?現実社会がそうなっているようにインターネットもそういうわかりやすいメタファーを導入し、そうしているわけです。形態は多少違えどもコミュニケーションなんですから、他人の自由を奪わない限りの発言の自由は与えられているのが普通ではないかと思います。他人の自由を奪ったから罰則として当人の自由も奪うというのは平等なシステムですよね。もしそうでなければ見限って抜けたほうがいいでしょう。マイルールを作ったコミュニティを作るかお金を出して依頼すればよいことです。無茶なものでもなければそれを止めるものはいないとおもいます。
わざわざフレームをおこしたコミュニティでなければならなくて、決められたシステムを超えて何かをしたかったのだとすれば、それは何らかの罪によって禁則・逮捕・監禁というのもそんなに無茶な話ではないでしょう。
そのコミュニティサービスが唯一無二のサービスであれば司法判断も変わるかもしれませんが、インターネットで唯一無二のサービスといえば私にはDNS*1ぐらいしか思いつきません。
フレームが発生して一般に不快だと思われるような状況になってしまったら、その主催者を含む関係者全員で責任を取らなければなりません。それが言論の自由と対をなす責任です。

*1:インターネットサーバをわかりやすくするサービスで、コミュニティサービスではない。