エチケットとネチケット

エチケットについて説明することは母国が日本人であればほとんどないと思う。守れば人間が生活するうえで自分の言動が自由になったり、守らなければ不自由になったりするものだ。エチケットを無視することは覚悟のないもののやることではない。
インターネットが技術者だけのものから、世の中に出てくるようになって共産主義的発想からネチケットネチズンなどと呼ばれるものがでてきた。ネチズンはネットワークに住むシチズン(市民)。ネチケットはネットワークを利用するにあたって必要なエチケットのようなものである。
なぜ、共産主義的な発想が主体とされたかというと、インターネットにはクライアントプログラム(ブラウザIEなど)とサーバそれに通信回線というものが必要で、その資源が潤沢ではなかった。共有資産としての認識が大きく、一部の人間が通信回線・およびサーバを占有することが許されない時代であり、そもそもインターネットは米nerdを主体とした共産主義的発想から生まれたものであった。また、それは正しく機能していた。
Webが発明され、個人が入ることのできるISPが普及しだした1995年ごろから、インターネットはめきめき魅力をはなってきた。そんなインターネットをビジネス側もほおっておかず、米nerdや日本のヲタクや一部の大学生が主体となってネチケットの策定にいそしんだ。
もちろん、“郷にいっては郷に従え”みたいな日本ぐらいでしか通じない言葉もあり、ある程度システム上の不都合と共通認識できるものエチケットでカバーする必要はある。
ところが、通信資源が欧米韓などよりはるかに潤沢で、クライアントにもサーバにもクライアントマシンパワーにも問題がない日本で、本来は似通ってくるはずのエチケットとネチケットの差はいまだ埋まることがない。ネチケットとエチケットの差について考え直す時期に来ているのではなかろうか?